相棒ファーンの予想
今回は長らく相棒を楽しんできた「相棒のファーン」として2024年10月スタート予定の相棒23のストーリーを予測していきたいと思います。(初稿の投稿時は2024/9/13です)
相棒の番組公式HPによるとシーズン23の始まりは警視庁発足150周年のタイミングを意識した構成となっています。
今年は“警視庁創立150年”というアニバーサリーイヤーでもあります。長らく右京を演じてきた 水谷も警視庁の記念サイトに応援メッセージを寄せていますが、初回スペシャルでは、 まさに右京が上層部の指令を受けて“警視庁150年史”の編纂に取りかかるところから幕を開けます。 明治7年、警視庁を創立したのは、元薩摩藩士・川路利良。彼は内務卿・大久保利通とともに 警察機構を作り上げ、初代大警視(現在の警視総監)に就任。しかし、 のちに大久保は暗殺という悲劇に見舞われ――。そんな警察黎明期に起きた事件をなぞるかのように、 大物政治家が殺害される事件が発生! 捜査をはじめた特命係の前に立ちはだかるのは、 現代日本で広がる“格差”の現実、そして政界にはびこる権力者たちの野望と陰謀だった――!? 150年前と現在――社会が変貌を遂げていく中で“正義”もまた変わってしまったのか…!? 常に“今”とリンクし新たなテーマを取り入れ歩んできた『相棒』だからこそ成し得る、 時代を超えた、壮大かつ衝撃のミステリーが展開していきます。(相棒の番組公式HPより抜粋)
以下記事では「衝撃のミステリー」の前段となる話を視聴者目線でまとめていきます。
知っているつもりでも
確認しておいた方が有益ですよ。きっと。
警視庁を立ち上げた川路
司馬遼太郎の小説「翔ぶが如く」(Wiki)(Amazon)で描かれている川路 利良(かわじ としよし)は日本警察の父と呼ばれている偉人です。今回の相棒では警視庁(現在地)の近くにあった薩摩藩邸から始まりました。島津斉彬のお伴として薩摩から東京に川路は来たのです。私はそんな様子を最近「泰三子さんの漫画『だんドーン』」で楽しんでいます。
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川路利良(かわじ としよし)の功績や背景について、以下の項目に分けて解説します。
1. 薩摩藩士としての出自
川路利良は、薩摩藩の武士として生まれました。彼の人生は薩摩藩の進取的な精神と密接に結びついています。特に、藩主であった島津斉彬のもとで薩摩藩邸に仕えるようになり、斉彬の西洋化政策や改革に強い影響を受けました。
2. 島津斉彬の影響
川路は島津斉彬の薩摩藩内改革や、西洋の技術を積極的に導入する姿勢に感化されました。特に、斉彬が推進した開国や西洋技術の導入は、川路が後に日本警察制度の創設にあたり、西洋の警察制度を学ぶ基盤を形成することになりました。
3. 薩摩藩邸と東京での活動
川路は、斉彬のお伴として江戸に向かい、薩摩藩邸にて活動しました。この時代は、薩摩藩士としての任務を果たしつつ、幕末の動乱期を経験し、多くの政治的事件に関わることになります。この経験が、後の警察官僚としての視野を広げる要因となったと言われています。
4. 明治時代における警察制度の確立
明治維新後、川路は新政府のもとで西洋の警察制度を学び、日本に警察制度を導入しました。フランスやイギリスの警察システムを参考にし、1874年には日本最初の警察庁が設立され、川路はその長官に就任しました。彼は、治安維持だけでなく、民衆教育の一環として警察官の倫理や教育にも力を入れました。
5. 現代の日本警察への影響
川路の導入した警察制度は、その後の日本警察の基礎となり、彼の影響は現在の日本警察の制度や組織文化にも大きく残っています。彼の強い統治意識と秩序維持への献身は、現代日本の治安維持の精神にもつながっています。
6. 関連作品と文化的影響
最近のメディアでは、泰三子さんの漫画『だんドーン』などで川路の歴史的背景や功績が描かれています。これは、警察官や治安維持に関する文化的な影響を再認識させるもので、彼の功績がどのように受け継がれ、現代でも評価されているかを反映しています。創設150年の節目でテレビドラマ相棒がこの題材を扱うのはタイムリーだと言えますね。きっと作中では、おなじみのメンバーの会話の中で歴史が語られ、伏線としてドラマに繋がっていく筈です。
話戻って、川路利良は、単なる武士ではなく、
近代日本の治安制度を築いた功績者として今でも広く称賛されています。
主人公に関わる政治家たち
テレビドラマの相棒では様々な政治家が登場して背景が絡み合います。ファーンにしてみたら楽しい世界なのですが、単独の作品としてみると(特に最近見始めた人には)分かりづらい世界でもあります。鹿手袋さんが出てきてさらに話をかき回していた気もします。そんな政治家たちを個別にご紹介していきましょう。
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そういえば大久保公
相棒シーズン23の初回では川路利良のエピソードが出てきますが、川路を評価したのは大久保利通です。
大久保もまた政治家として紀尾井町の変で倒れました。私は上智大学の近くで石碑と出会い紀尾井町の変を知りました。
大久保利通は、明治政府を支える重要な政治家の一人であり、薩摩藩出身の同士として川路を信頼し、警察制度改革を後押ししました。しかし、紀尾井町の変で暗殺されたことが、大久保の悲劇的な結末です。1878年、紀尾井町において不満を抱く士族たちによって襲撃され、大久保は非業の死を遂げました。この事件は、維新後の混乱期における象徴的な出来事として歴史に残っています。
【大久保公を悼む石碑(暗殺現場】
その大久保の暗殺が起こった場所は、現在の東京都千代田区紀尾井町にある公園の一角に石碑が建てられています。この場所は、上智大学や警視庁からもほど近く、現在でも静かにたたずんでおり、歴史を感じることができる小さな公園です。紀尾井町の変は、日本近代化に大きく貢献した大久保の生涯を終わらせた悲劇として、現代でも語り継がれています。
石碑は、彼の死を記憶するために設置され、訪れる人々に大久保の功績とその悲劇的な最期を伝えています。この場所に立つことで、幕末から明治にかけての歴史的背景を実感することができるでしょう。
東北方向には会津
(今で言う皇居の)お堀の南西部に彦根藩の藩邸があり、桜田門外の変が起きています。島津斉彬の死亡に伴い薩摩藩の上洛が出来ない中での水戸藩を中心とした事件です。しかし、事件の流れとして島津藩が大きく関わっていたことは記憶に留めておくべきでしょう。薩摩藩といえば上記、川路の他に西郷隆盛や大久保利通、黒田清隆、松方正義、森有礼ら有力な人材を多数輩出しています。そして、薩摩の政治家たちがその後に続くのです。そして、近い時代に会津藩が上野の戦いに敗れ将軍は流山方面に逃れ、その時期に新選組の近藤勇は流山で掴まり板橋で首塚を残します。会津と新選組の歴史の足跡はお堀の北側に残っていますね。戦の何年も後で東大で学長を務めた山川健次郎については別記事でまとめました。東大もお堀の北です。
そんな時代の前に京都の御所で蛤門を守った戦いでは薩摩会津が共に戦い、時の流れの中で西郷が西南戦争で川路と戦います。上野の丘の上にある銅像がそんな時代を思い起こさせてくれますね。
幕末から明治維新にかけての日本の大きな変革期を捉えています。この時代は、薩摩藩や会津藩を含む多くの藩が日本の将来を巡って激動の時代を経験しました。最後に、時代の変遷をおさらいしておきましょう。
桜田門外の変と水戸藩・薩摩藩の関係
桜田門外の変(1860年)は、江戸幕府の大老であった井伊直弼が暗殺された事件です。この事件は、水戸藩の攘夷派によって引き起こされましたが、薩摩藩もこの時代の政治的動きに深く関与していました。特に、薩摩藩の指導者であった島津斉彬は、尊王攘夷を推進する立場でしたが、彼の急逝により、直接的な上洛(京都に向かうこと)は成し遂げられず、水戸藩が中心となった事件へとつながった背景があります。
薩摩藩の経済面での足跡
気になる人は気になる世界。島津藩と島津製作所の関係です。
(同社HP:https://www.shimadzu.co.jp/today/20200919-1.html)
ノーベル賞物理学者を擁する計測器のメーカーである島津製作所は島津家の家紋を背負っています。
由来をかいつまんで語ると創業者の井上さんが(16世紀に)
島津家から家紋の使用を許され島津の名を使って仕事をはじめました。
薩摩藩の政治的影響力
薩摩藩は、幕末から明治維新にかけての政治的・軍事的な動きにおいて非常に重要な役割を果たしました。島津斉彬の死後も、薩摩藩からは数多くの有力な政治家が輩出されました。西郷隆盛、大久保利通、黒田清隆、松方正義、森有礼といった人物たちは、それぞれ明治政府の重要なポジションを占め、日本の近代化に大きく寄与しました。
会津藩と薩摩藩の関係
忘れがちなのは、幕末の一時期において、薩摩藩と会津藩が協力して戦った場面です。蛤御門の変(1864年)では、薩摩藩と会津藩が共に京都御所を守り、長州藩と戦いました。しかし、時の流れとともに、両藩の立場は変わり、薩摩藩が新政府軍の中心となる一方で、会津藩は旧幕府側として戊辰戦争で新政府軍と対峙することとなります。
西郷隆盛と川路利良の対立
西郷隆盛は、明治政府内で新しい日本を形作る中心的人物の一人でしたが、後に政府に反発し西南戦争(1877年)を引き起こします。この戦いでは、西郷とかつての盟友たちが敵対することとなり、その中に日本の警察制度を築いた川路利良も含まれていました。川路は西南戦争において政府側として西郷軍と戦い、その結果西郷は敗北し、時代の大きな転換点となりました。
上野の西郷隆盛像
上野の丘には、西郷隆盛の銅像が立っており、これは彼の偉大さと、その時代の象徴として多くの人々に親しまれています。この銅像は、薩摩藩が果たした役割と、明治維新後の日本の歩みを象徴する存在です。
こうした歴史的背景は、「相棒」のストーリーの中にも時折反映されることがあり、政治的な駆け引きや幕末の歴史に思いを馳せながら作品を楽しむことができます。
〆最後に〆
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